彼が興味を持ったのは、「誰も引き受けたがらない捜索」だったからだ。
ただの人探し。行方不明者の捜索。
……であるはずなのに、その捜索場所が「とある孤島」だというだけで、同僚たちは皆、火の粉を散らすように避けていくではないか。
周りが一目置くほどの凄腕であるベテラン刑事も、いやちょっとそこだけは……と首を横に振ったという。
一体何事なんだと、タルボ・ハゼットが同僚に聞くと、知らないんですかタルボさん、と驚いたような声が返ってくる。
聞けば、その孤島は、よからぬ噂が多くあるというのだ。
絶海の孤島——カリュメナ島。
「いやぁ、実に素晴らしいコンディションだ。気分が良い」
タルボは船の甲板で、潮の匂いを肺にいっぱい吸い込んでは、吐く。
風を切り、ひたすら波間を進んでいく観光船。その小さな姿を見下ろすは青い空と、絶好調に明るい太陽だ。
ピンク色の刈り上げた髪の先が、ちらちらと揺れる。モノクルを飾った少し切長の銀色の瞳は、太陽の光を取り込み、輝きを帯びた眼差しで船が行く先を見つめ続けていた。
彼の体が受け取る太陽の光からできあがった影は、一般的な大人の男性に比べて、実に小柄であった。
タルボ・ハゼットは、ある年頃から体の成長がとまったまま歳をとっていく、という特徴の生態をもった、ルネッカ族のひとりである。
一見、子供のようにも見えるその体つきではあるが、顔を見ると、しっかりと歳をとっているのがわかる。
——視界に島の影が浮かび上がってくる。どうやら、間もなく目的地に到着の様子だ。
「失礼。学者の方ですか?」
刑事にしては洒落ている柄のスーツに身を包んでいるタルボに、話しかける男がいた。
タルボは百二十四センチメートルという身長から、百七十はあろうかという男を見上げる。二十代ほどと思われる、若者だった。
「いや、私は刑事だよ。こう見えてもね」
モノクルがきらりと光を反射する。
「え、刑事さん?」
男は驚いたようだった。そして至極当然とも思える問いを返す。
「刑事さんが、あの島にどういった御用なんです?」
タルボの視線が、先ほどよりもくっきりと見えてきた島へと持っていかれる。
「人を探していてね。あの島に行くと言ったきり、行方がわからなくなったらしいんだ」
「あぁ……なるほど。じゃあもしかして刑事さん、あの島の噂も……?」
タルボの目が、ちろりと男を見やる。
「君は、どういった用で行くんだね?」
男は肩をすくめた。
「噂に惹かれた一人、でして。大学に提出する論文の題材にしようかと」
「なんと。そういった好奇心は身を滅ぼすと言うが……私は嫌いではないよ。“極楽に溺れる島”なんて、そそるじゃないか」
「刑事さん、話わかるなー」
タルボの言葉に、男は至極嬉しそうに笑ったが、どこか欲が隠しきれない笑みだった。
——当船は、間もなく、カリュメナ島に着岸いたします。皆様、長らくのご乗船、まことにありがとうございました——船内アナウンスが聞こえてくる。タルボと男は改めて並び立ち、“極楽に溺れる島”の姿を目に焼き付けていた。
カリュメナ島にある旅館兼休憩所は、たったひとつ。
行方不明者は、そこにたどり着いたという記録は残っていたという話だったので、タルボはその旅館に部屋をとっていた。旅館と言っても、観光のために訪れた人々の休憩所としても活用されているらしく、泊まり目的ではない客もそこそこ利用するらしい。
船で出会った若い男も、同じ旅館に泊まるというので、なんとなく二人そろって旅館までの道を行くことに。
それは、旅館に入った直後のことだった。
「ちょ、ちょっとタルボさん……! 見てくださいよ、あの子たち……!」
高揚した声に名を呼ばれたので振り返ってみると、男が遠慮なしに指差している先に、若い女性たちがいた。
首元を隠し腕を晒した形の衣服。腰に巻かれた布が、ふわりとなびき、その下から突き出る細い足首を引き立てている。孤島の文化に根付いた衣服に身を包んでいる女性たちだったが、それにしても嫌に——艶かしい。
「島の子たち、ですかねぇ……っ?」
「……そうだろうね。あの服は、カリュメナ島独自のデザインだろう」
肌の色は、島に降り注ぐ太陽を目一杯に浴びたような、健康そうな小麦色。
目はくりっと可愛らしく丸みを帯びていて、艶やかな黒髪が腰のあたりまで伸びている。
彼女たちは二人を見かけると、いそいそと近づいてきた。
「ようこそ! カリュメナ島へ!」
「極楽に溺れる島を、楽しんでいってくださいね!」
女性たちは、かわるがわる、男とタルボの頬や額にキスを落としてから、歓迎の印らしい鮮やかな紐でできた首飾りをかけてくる。
そして、ひとりの女性が、若い男の手をとったかと思うと、その手の甲に頬擦りをした。
「おにーさん、特別カッコいいから、これもあげちゃう」
女性の掌に現れたのは、首にかけた紐飾りと同じ紐で作られた指輪だった。大きな石こそないが、細かい宝石が散りばめられていて、なんとも奥ゆかしい輝きを放っている。
「えっ、こ、こんな指輪。いいの?」
「いいのいいの。島にいる間、ずっと身につけててほしいな」
「ルネッカ族のおじさまにも、あ・げ・る」
タルボの指にも、その赤い紐の指輪がぐっと押し込まれた。
島の女性に、甘い声で話しかけられた男は何度も頷いてみせると、女性たちは満足そうに去っていった。
「こ、これが……“極楽に溺れる島”……!」
打ち震える男の横で、タルボは指輪と、首の紐飾りをすでに外していた。丁寧に折りたたみ、懐にしまう。
「ずいぶん、熱烈すぎる歓迎だねぇ……」
脇の男はすっかりだらしない目元をしている。その指に光る、変わった様相の指輪に、銀色の視線はじとりと落ちていた。
タルボは荷物も部屋に置いてすぐに、孤島を見て回ることにした。
旅館から出てすぐに懐から取り出した、革カバーのメモ帳を開く。
「……部屋に荷物もなく、自発的にいなくなった見解が強いが……家族が理由が見当たらない、と証言……」
ブツブツと口の中でメモに残した文言を読み上げる。
「……ふむ」
妻子持ちの男が、なぜ“極楽に溺れる島”などと呼ばれている孤島にわざわざ単身でやってきたのか。行方不明者の職業から理由は明確であった。
彼は、フリーのカメラマン。
彼の自宅から、この孤島まではそう遠くはない。観光船も通っているところから、もしかしたら彼は日帰りのつもりで旅館で休憩をとり、その後行方不明となったのではないか。だから家族にも、場所だけ告げて気楽に出ていったのだろう。
タルボはあらかたの捜査資料に目を通してから、メモ帳をしまいつつ、歩き出した。
孤島はそれほど広くはない。
観光客も自分たちだけでなく、複数人見られた。あとは、初老ぐらいの夫婦一組と、バッグパックを背負った若い女性ひとり。
観光船はこの後も午後に二本やってくる。夕方の便に乗ることができれば、日帰りで本土へと帰れるため、夜になればまた人が減るのだろう。
「さて、どこから見回るとするかな」
捜索の手も回しつつ、孤島ならではの文化に出会えるかもしれないと、タルボは心をわずかに踊らせていた。
それから数刻が経ち、タルボは旅館へと戻ってきていた。
部屋に入ると荷物を持ち、泊まる予定だったが帰ることにする、と受付に告げて、休憩分の料金を支払っているところだった。
「あれ? 刑事さん。帰っちゃうんですか?」
例の若い男だった。
その指には、まだ赤い紐の指輪が飾られている。
「あぁ。ちょっと野暮用を思い出してね。この島の夜も堪能したかったのだが」
「残念ですねぇ」
「君は、島の観光を楽しんだかね?」
すると若い男は、満足げに笑って、頷いた。
「はい! これで良い論文が書けそうです」
「それは良かった。君の論文が、ゼミの教授を唸らせる出来になることを祈っているよ」
「ありがとうございます。刑事さんの方は、どうだったんですか?」
その気の利いた言い回しを聞いて、タルボは片眉をあげる。
賢いところもある若者だが、いかんせん欲が勝ってしまう質らしいな。実に惜しい。
「それが手掛かりすらなくてね……もっと別の方向から探ってみることにするよ」
「そうですか……僕も、刑事さんのお仕事がうまくいくよう、祈ってますね」
ありがとう、という言葉を最後に、タルボは旅館を後にしていく。
旅館を出ようとしているところ、同じ便で来ていた初老の夫婦とすれちがった。初老の夫婦は、右手に青い紐と小さな宝石でできた、指輪を携えていた。
今夜の夕飯が楽しみねぇ……島で採れる魚がメインらしいな……などと、とても穏やかな会話が聞こえてくる。
あぁきっと、この夫婦は無事に帰れるだろう。
タルボはそう思った。
旅館を出て、港までの道すがら、今度はバックパックを背負った女性を見かけた。するとその女性は、島の男と思われる男に向かって、啖呵を切っているではないか。
「しつこいなぁ!! そういうの興味ないっつってんじゃん!! いい加減にしないと警察呼ぶよ!?」
見目の良い島の男は、ガタイは良かったが、すっかり女性の剣幕に気圧されてしまっているようだった。タルボはこみあげてくる笑いを堪えながら、近づいていく。
手には、警察手帳。
「その警察だが。どうしたというのだね、こんなに穏やかな島で」
「——! 刑事さん、ちょっと聞いてよ! この男が……あ! 逃げた!」
女性の視線がタルボに向いている間に、島の男は姿を消していた。
「ナンパでもされたのかね?」
腕を組んで男が消えていった方向を睨みつける女性。
「ナンパなんて可愛いもんじゃないわよっ。もう色気ムンムンで近づいてきてさ、完全にヤリ目って感じ!」
「見目麗しい男性ではあったが……君のお眼鏡には叶わなかったのかな?」
すると女性は、腕を解き、手を腰にあてて胸を張った。
「私、そういうの興味ないのっ」
「……ほう?」
女性の手元を見ると、赤い紐の指輪がついている。
「興味ないって何回も言ってるのに、全然わかってくれなくてさっ。人類皆、同じ欲に飢えているとでも思ってんのかしら?」
タルボは笑った。
「少なくとも私も、君と同じで、そういったことに興味が一切ないがね」
女性の目が驚きに瞬く。
「えっ、ほんとに? ルネッカ族の刑事さん。……私の言いたいこと、わかってくれる人?」
タルボが、あぁわかるとも、としっかり頷くと、女性は嬉しそうな笑顔を向けた。
「だから、その指輪は外しておいた方がいい。できることなら、手放すことをおすすめするがね」
「え? これ? かわいいのに」
女性はその後、散々な目にあったから次の便で帰ると言い出した。荷物は持ち出したままだったため、そのままタルボと共に港に向かうことになった。
港についたタルボは、観光船の受付所を訪れる。
受付担当の前で、懐からおもむろに財布を取り出すと、紙幣をちらつかせるように見せた。
「ちょっとお願いしたいことがあるんだがね? なぁに、君の名誉は守る。損はさせないよ。絶対にね」
若い男は、極楽に溺れる寸前であった。
しかし、彼の身体はベッドと呼ぶにはあまりに簡素な台に、四肢を縛り付けられている。
男の意識は朦朧としていて、しかし耳だけは、はっきりと周りにいる人間たちの声を拾っていた。
「女の方はどうしたんだ」
「それが俺の誘いにまったく乗らなくてさ……ちょっと変わった女だった」
「珍しいわねぇ、あんたに靡かない女がいるなんてさ」
「男の方はひとり確保できたし、まぁいいんじゃない?」
「前の男は、そろそろお役御免な感じだしねぇ。お香が効かなくなってきたみたい」
「もうひとりの、あのルネッカ族はどうしたの?」
「え? 印ついてなかったよ」
「えー嘘でしょ? 私が、島にいる間は外さないでねぇ、っておねだりして、外した奴いなかったのに……」
「ルネッカ族、珍しいから欲しかったよねぇ」
今にも沈みそうで、まったく沈むことのできない頭が、その会話の音だけ拾って意味は、まったく置き去りにしている。
何を話しているのか。なぜ自分は動けないのか。まったくわからなかった。
そこに、誰かが近づいてくる気配がする。
恐怖と一緒に、妙な香りが漂い始めたのがわかった。
「まぁいいや……じゃあしばらくは、この男を、極楽に溺れさせましょう?」
「う……あぁ……っ」
男の口元から漏れた苦悶にも似た声音は、誰にも届かない音となるばかりだった。
細く暖かな指先が、頬に触れた。
その刹那。
妙な香りも、意識を中途半端に沈めかけていた何者かの気配も、一息に消し去ってしまうような凛とした音が響いた。
「極楽とは程遠い様相の隠れ家だな。なんともお粗末だ」
「——誰だ!?」
男の意識が、ふっと持ち上がる。しかし視界がぼやけて、何も見えない。
「どうしてここが……!」
「そこにいる、見目麗しい君が案内してくれたんじゃないか。草を踏み抜いた足跡が、まるで私を誘うかのようにここまで続いていたよ? あと、鍵も……ずいぶん原始的だ」
床に落ちる金属音。
空気の一変した室内に、男は手足に力が戻ってきたような心地がしてきた。ぐっ、と持ち上げようとした腕が、肘ばかりが浮いてもどかしいまま。
「しかし思っていたより人数が多いな……致し方ない」
何かが弾ける音がした。
慌てふためく男女数人の声、影、そして——鮮やかなピンク色がちらりと動いたのを見て。
男の意識は、今度こそ完全に闇に沈んだのだった。
夕闇に染まる港から遠ざかっていく、船。
行方知れずであった男は、船内で意識を取り戻したものの、目前にはルネッカ族のモノクルをつけた男と、若者と……初めて見る顔だらけ。
当然、男はしばらく困惑していたが、やがて落ち着きを取り戻し、タルボの問いかけに答えられるようになっていく。
やや衰弱はしており、男の顔色は悪かったが、受け答えはしっかりとしていた。
行方不明者であった彼の話を、タルボたちは興味深そうに聞いていた。
「——では、あなたとしばらく一緒にいたという、中年の男性と、若い女性は」
「……おそらく島民たちに。あの部屋の床を見ましたか?」
タルボは神妙な顔をして頷いた。
「まさに、マナーも教わっていない者たちが、食い散らかした後のような……あんな部屋で、平気な顔をして、新しく招いた人間と性交に勤しんでいたとは」
気分の悪そうな顔色のままで大人しくしている若者に、銀色の視線が向けられる。
「君は、助かって良かった」
「……刑事さんのおかげです。もう足向けて寝れません……」
若者は、床に額をこすりつけんばかりの勢いで頭を下げる。
「はは……いや、仕事をしたまでだよ。それに、君があそこにいなければ、彼を運び出せなかった」
あの部屋で、若者が次に意識を急浮上させたのは、タルボの平手打ちだった。
ようやく顔をあげた若い男は、恐縮です……と顔を赤くして項垂れる。おかしそうな、しかし嬉しそうな顔でタルボは頷いた。
「“極楽に溺れる島”なんて、良く言い過ぎですよねまったく……」
若者がうんざりしたような声で言うと、男はため息をついた。
「実態は、“溺れ死にさせる島”だったんだろうね……外界からきた客人の金品を奪ったり、子種を残すために夜這いをしたり……なんて文化は、昔はいくらでもあったと聞いたことがあるけれど。まさか、現代でも残っているなんてね」
「……刑事さん。あの島の島民、どうするんですか……? 普通に事件ですよね? これ……」
タルボは難しい顔をして腕を組んだ。
その脳裏に、なぜカリュメナ島に皆が行きたがらないのかを教えてくれた、同僚の顔が浮かぶ。
——知らないんですかタルボさん。その孤島に事件を捜査しに行った刑事が、無事に帰ってきた試しがないんですよ……! 良くて精神病院送り、悪くて行方知らずになるっていう島なんです……!
事件化しているだろう、そんな島——とタルボが言うと、同僚は、事件化できない理由があるらしい……と、そんな黒い話まで教えてくれた。
「残念ながら、難しいかもしれない」
若者と男は、タルボに視線を集中させて目を丸くした。
「今回、君と、彼、そして私が島の秘密を知って逃げおおせている。次に警察が行くまでに、なんらかの工作がされていると思っていいだろう。確実な証拠がないと、立件は難しい——……まぁ、そんなことは君たちは考えなくても大丈夫だよ。ここからは、我々の仕事だ」
にこりと笑む刑事。
「ひとまず私の仕事も無事終えたし、命が二つも助かった。それでよかったとしよう」
タルボは、二人の男の肩をやさしく叩いた。
「ねー刑事さーん」
明るい女性の声が響いてくる。振り向くと、バックパックの女性が飲み物入りの蓋つきの器を三つ抱えてやってきていた。
「おや」
「おや、じゃないわよ。刑事さんが、負傷者が出ると思うから船を出すのを遅らせてくれ、なんて受付の人に言ったもんだから、遅くなっちゃってさぁ。で、そっちの二人が……その、負傷者?」
「すまなかったね。あぁ、今日、多少のトラブルに巻き込まれたお二人だよ」
すると女性は飲み物を、その場にいる男たちひとりひとりに手渡しだした。
その器は温かく、掌にじんわりと温度が染み込んでくる。
「ほんとだ、二人とも顔色悪いわね……大丈夫ですか? 何か欲しいものあったら言ってくださいね?」
女性のちょっとした優しさに、三人の男が顔を緩ませる。
少し話をすると、女性はまたすぐにその場を離れていった。
その後ろ姿を眺めていた若い男が、不意に頬を赤くする。
「刑事さん……彼女の名前、なんていうんでしょうか……?」
「……切り替えが早いのは、君の長所だとは思うがね」
すっかり呆れた顔で飲み物に口をつけるルネッカ族の仕草を見て、男はしばらくぶりの笑みをこぼすのだった。
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