第三話 寄贈

 カロメティオが帰った後、トワユは特別書庫へと向かった。
 一般公開はほとんどされていない書庫の入り口に、警備員が真面目な顔をして立っている。
 見知った顔が近づいてくるのを見て、警備員が会釈。形式的に入室許可証を見せるトワユ。
 警備員に許可証を確認してもらうと、トワユは一部の職員にしか与えられていない鍵を使って、書庫へと入っていく。
「……やっぱり、ここだ」
 自分の予想があたったことに、笑みを浮かべるトワユが見ている方角には、リベルが椅子に腰掛け、ひとり本を開いていた。
「リベル」
 長い髪を揺らし、リベルが振り返る。
「あ、トワユ。……お友達、帰ったの?」
「うん。ね、なんの用事だった?」
「あっ、そうだった。えーっとね、この間、死神軍の終律隊からきた依頼でね……」
 リベルは本の脇に置いてあった革製の手帳を開くと、白い紙の文書を取り出しながら、話し始めた。
 その話が本格化する前に、と、トワユはリベルの隣に腰掛ける。
「ねぇリベル」
「なに?」
「カロ君はぁ……常識のある、悪魔だからね? そりゃあもう、ボクなんかより」
 リベルは、そっと紙から視線をあげて、隣の同僚を見た。彼には珍しく、少し真面目な顔をしているように見えた。
「……わかってるわよ。悪い人には、見えなかった」
 リベルがそう言い切ったのを聞いて、トワユは少し安堵したかのように吐息して、頬杖をつく。
「そう? ならいいけど」
「ただ、悪魔族の男性って認識しただけで、ちょっと……もう、癖ね」
 まるでリベルの言い草は、反省の弁のようだった。トワユは少しだけ考えてから、リベルの顔を覗き込む。
「まだ引きずってるじゃん」
 軽い調子で言われたものの、それが自分を案じているからだとリベルは理解していた。
「まぁその……悪魔と死神じゃ、文化死神族において性は、誓約・番・家の秩序と結びつきやすい。一方、悪魔族においては欲、遊戯、親愛、取引が明確に分かたれない。両族の誤解は、多くこの差異より生じる。

綜文院著『冥界二族文化考』より抜粋
がいろいろ違うから、あの悪魔がした行動については、そういった側面から見て理解できることはあるんだけど……」
 トワユに調子を合わせようとしたものの、リベルは言葉と同時に、どうにも整頓できない感情が声や言葉尻に滲んでしまっていた。
 話せば話すほど、混乱が戻ってくるような心地に、リベルは中途半端に口を噤む。
 するとトワユは、身を乗り出して言葉を強めた。
「だからって死神相手に、無理強いしようとしたのは、アイツが完全に悪いって。悪魔同士と違うんだから」
 悪いのは、あのオヤジ、と言い切るトワユ。目をぱちくりと瞬かせたリベルは、遅れて、ゆっくりと頷いた。
「変に理解しようとするから、引きずるんだよ。リベルは怒ってていいの」
 その言葉を聞いた途端、リベルの口元が緩む。目元がふんわりと笑みの形に寄っていった。
「……ありがと」
 リベルの表情がやわらかくなったことに満足したのか、トワユは何度か頷いて。そして、親指をたてて、それをリベルの真ん前へと突き出して見せた。
「でも、もう大丈夫だから。リベルの代わりに、ボクがしばらく勃たないぐらいのおしおきしといたからサ」
「……生きてるわよね? あの悪魔」
 そんなひととき。




 あれから数日経ち、中立図書館には変わらない穏やかな日々が続いていた。
 死神領と悪魔領、そして女王らが住まう中央区。三つの土地の、ちょうど真ん中に位置する場所が、中立区にあたる。
 種族、性別、立場。
 そういった境界線に至る何もかもを持ち込まず、誰もが利用できる施設が点在しているのが中立区たる土地になる。そこには「非常時以外の戦闘行為を禁ずる」という、独自の法令が敷かれており、図書館をはじめ、食事や休憩できる施設も数多い。
 法令の効力もあり、中立区で働く者たちは争いごとを好まない者が多い。そのためか、気質に個体差の激しい悪魔族より、一定の教育が行き届いている死神族の職員が多いのも、特徴のひとつだった。
 朝。トワユが中立図書館へと足を踏み入れると、開館前の施設内が、どことなく賑やかだった。
 すでに警備についている職員と、清掃を始めている職員たちに挨拶を済ませ、トワユは賑やかな声のする方へと進んでいく。
 トワユが一般書庫エリアに入ると、木箱がまず目に入った。
 いくつも積み重ねられ、並べられているそれらの蓋を、同僚たちが丁寧に剥ぎ取っている。
「あれ……どうしたの?」
 問いかけに反応して振り返ったのは、共に作業をしていたリベルだった。
「トワユ、おはよう」
「あ、おはよ。何? この荷物」
 リベルの方へと近づきながら、トワユの視線は蓋のない木箱へと。中身は、大量の書籍だった。
「寄贈、ですって」
 桃色の目が丸くなる。
「こんなに大量の本を? 誰から?」
 トワユのもっともな反応を受けて、リベルの視線が、別の同僚へと移る。リベルの視線に気がついた死神族の男が、ふと、トワユを見た。
「トワユは聞いてないのか?」
「なにを?」
「寄贈主。悪魔領の霊衡局れいこうきょくからだよ」
「霊衡局って……え、どういうこと?」
 何も耳にしていないらしいトワユの反応。
 霊衡局は、悪魔領の治安維持・運営を担っている組織。職に就いている悪魔たちも、どちらかというと組織に属することを良しとする、律された精神の持ち主が選ばれる傾向にある。
 そんなおカタい組織から本の寄贈とはいったい——? トワユの首が、右へ左へ傾げられる。
「なんでも、市民たちにいらない本があったら、まとめて中立図書館に送るから霊衡局まで……って、集めてくれてたらしいぞ」
「えっ、嘘、知らなかった」
 トワユが心底驚いたような顔をしたので、かがめていた腰を伸ばしていた同僚が思わず笑う。
「トワユ、霊衡局の局長と仲がいいんじゃなかったのか?」
「……まぁ仲いいけどぉ。あんまり仕事の話、しないからねぇ」
 同僚は肩を竦めた。
「てっきりトワユが、局長にすり寄ったおかげで寄贈された本なのかと思った」
 えー、と、トワユは不服そうに頬を膨らませる。
「すり寄るんなら、本じゃなくてもっとイイものもらうもんねー」
 トワユの返答に、リベルも同僚も、なんとも言えない乾いた笑みを浮かべるだけだった。
 トワユたちがそんなやりとりをしているそのすぐ横で、最後の木箱の蓋が開かれようとしていた。
 工具を持って、思いの外、かたく閉ざされているそれを、ゆっくりと取り外していく細縁眼鏡の男性職員。釘を一本、また一本と緩めていく。
「……ん?」
 蓋を完全に外し終えると、彼は中を覗いて首をひねり、目を瞬かせた。
 彼の視線は、ある一冊の本に集中した。
 他の本と同様、並べて収められている青黒い背表紙。金の箔押しに縁が飾られている。薄手のもので、背表紙には何も文字がない。
 その本を食い入るように見つめていた職員は、ふと手を動かした。その背表紙を掴もうと、指が伸びていく。ゆっくりと。誘われでもしているように。
 あと少しでその指が青黒さに触れようとしたそのとき。
「ねぇねぇ、その箱で終わりなんだよね?」
 軽やかな声色に彼の顔は、はたと上げられた。
 見ると、桃色の瞳がある。見慣れた同僚の顔を認識して、彼の双眸の緊張は、ふっと緩まった。
 トワユが首を傾げている。
「どうしたの?」
「あ、いや……なんでもない。これで、終わりだよ」
 するとトワユはしゃがみこみ、じゃあ持っていっちゃお、と箱の中の本を無造作に取り出し始めた。
 目の前で次々と抜かれていく本。
 その中に、あの青黒い本も混じっている。
「よっと」
 トワユは両腕に本を抱えて立ち上がった。
「あ、ありがとトワユ。残りは俺が持っていくよ」
「うん、よろしくねー」
 トワユが背を向けて歩き、奥へと引っ込んでいく。
「……?」
 残された青年が首の後ろを撫でながら、不思議そうな面持ちでいるのを、リベルがまた首を傾げて眺めていた。


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