第二話 異界研究

「異界から、冥界への侵略行為が行なわれかけたことが何回かあるのは、知っているだろう?」
 トワユは首肯する。
「知ってる。大昔からあったけど、そのたびに冥界は難を逃れてるとか。熱心な異界信仰者がやらかすことも、あるんでしょ?」
「そう。元々は反メレヴィア勢力が形を変えただけらしいがな。異界生物は、侵略と蹂躙が目的だ。異界との繋がりである裂け目が現れやすい悪魔領だと、たびたび、裂け目が発見されて騒ぎになっていた。ただ、ルヴィア様が族長になってからは、街や主要施設に結界が張られたから、悪魔領でも裂け目は開きにくくなったようだがな」
 それでも奴らはやってくる、と続ける友人の口調が明らかに軽やかになってきていることを、トワユは耳で感じ取る。
「異界の侵略行為の足がかりと言えば、ルゴスだ。聞いたことがあるだろ?」
 ルゴスという響きを、トワユの耳は、少しの寒気と共に捉える。
 昔から知っているようにすら感じる気味の悪さを、音として感じるほどには、その名前だけはよく聞いたことがあった。トワユは頷く。
「ルゴスの語源は諸説ある。冥界で初めてルゴスを見た奴がつけた名前だと言われているが……まぁ、それは置いておいて。ルゴスについては知っているか?」
「えーっと……確か、異界生物の中でも下位の存在だったような?」
「あぁ、そうだ」
 カロメティオはトワユの受け答えに満足そうに頷いた。異界研究者による講釈は続いた。
「ルゴスは下位生物で、異界の上位の存在により使役されている。知性がない分、増殖力が高く、破壊行動に躊躇いがない。しかも、ルゴスにはひとつ、厄介な本能が備わっている。知っているか?」
 トワユは眉をひそめた。
「厄介な本能……? もしかして、エロ系?」
 顔をしかめて頭を振るカロメティオ。なんでそうなるんだ、と言わんばかりの表情に、トワユは小さく笑った。
「異界の生物以外を、己とする、という本能だよ」
「……ん? どういうこと?」
 トワユの表情が真剣味を帯びてきた。どうやら、カロメティオの知識が友人を上回った瞬間だったようだ。
「たとえば。ルゴスが一匹冥界に降り立つ。するとどうだ。自分以外のものは、異界生物じゃない」
 うんうん、とトワユの首が振られる。
「ルゴスの本能はこう考える。同郷のもの以外は、すべて己とすればいい、それが安全だと。そして始まるのが、ルゴス感染だ」
「……え、感染? 感染するの? ルゴスが?」
「あぁ。これを、ルゴス化、というんだ。研究者の間では」
 カロメティオは椅子の背もたれに身を預け、腕を組んだ。トワユは、新しい知識にやや圧倒されたような表情をしている。
 でもまだ先を知りたいと、身を乗り出すのはやめない。
「ルゴス化……ってことは、たとえば悪魔や死神が、ルゴスみたいになっちゃうってことだよね」
「あぁ」
「どう感染するの? 噛まれたりとか?」
「それは接触感染と呼ばれるんだが……ルゴス化する感染条件には、認知もある……っていうのが、あまり知られていない話だな」
「認知っ?」
 トワユの声がひっくり返りそうになっていた。
「見ただけで、ってこと?」
 続いたトワユの問いかけに、カロメティオはゆっくりと頷く。トワユの口から、うげえ……というなんとも素直な反応が漏れてきた。
「大昔は、感染ではなく、擬態もしくは乗っ取りだと思われてたらしい。急に増えるし、感染からルゴス化まであっという間だから、ルゴス化の目撃例も少なくてな」
 トワユの目が瞬く。カロメティオは落ち着いた声で続けた。
「まぁ、認知感染を引き起こしやすい個体と、そうじゃない個体がある。約二割程度……と言いたいところだが、種族差もある」
「え、そうなの? 悪魔の方が感染しやすいとか?」
 恐々と口にするトワユ。
 逆だ、とカロメティオは即座に返した。
「死神の方が認知感染を起こしやすいんだ」
「え……意外」
 そこには同意、とばかりにカロメティオが首を縦に振る。
「父曰く——柔らかいものは、突撃してきたものを受け止め抱きしめてしまうが、硬いものは、突撃してきたものに壊されるか……張り付かれていることに気が付かないまま侵される、とのことだ」
「……おぉぉぉ、なるほど。死神って、悪魔のボクたちから見ると、ほんとおカタくて、真面目だしなぁ。カロ君のお父さん、いいこと言うね……?」
 死神と悪魔の性質の違いを表した言葉として、トワユは、感激したように頬を赤らませて目を輝かせていた。
 素直な反応に、カロメティオは思わず顔を綻ばせる。
 そのとき、談話室の扉が開いた。
「トワユ、ここにいたの」
 そう言って扉を潜り、二人に近づいてくる女性がひとり。カロメティオが見やると、長い髪をひとつにまとめた女性だった。
 いかにも、公共施設の職員といった佇まいの彼女は、トワユを探していたらしいが、ふとカロメティオと目が合った瞬間に、その足を止めてしまう。
 その仕草の違和感と共に、女性の薬指に、銀色の指輪が光ったのが見えた。
「あ……えっと、お客さんだったのね」
 彼女の灰色の瞳は、トワユに移った。
「あ、うん。友達の、カロ君。こっちは、同僚司書のリベルリベル・ノトゥリア
  
死神族。中立図書館の司書。トワユの同僚。
だよ」
 トワユがやわらかい調子で、二人を紹介すると、カロメティオは姿勢を正して軽く頭を下げた。
 リベルも会釈こそしたが、どうも落ち着かない様子でいることが、カロメティオには伝わってくる。視線も意図的に逸らされているような感覚だった。
 そのことを不思議に思っているうちに、リベルは、「じゃあまたあとでいいわ」と言い残して立ち去ろうとする。
 やや挙動不審にも見える様子に、カロメティオは怪訝さが拭えずにいた。
「あ、いいの?」
「いいのいいの。そんなに急ぎじゃないし」
 困ったように眉尻を下げるリベル。
 結局、その後彼女はカロメティオには一度も視線を合わせず、小さな声で「ごゆっくり……」とだけ呟くと、本を抱えてそそくさと立ち去ってしまった。
 不思議そうな面持ちでリベルの背を眺めるカロメティオ。談話室の扉が閉じられたのを見計らって、見かねたトワユが口を開く。
「気にしないでぇ。別にカロ君のこと、嫌ってるわけじゃないから」
 カロメティオの視線がトワユへ向けられる。
「……ってことは、悪魔を嫌ってるのか? 彼女、死神族だろう?」
 トワユは肩を竦めた。
「いやぁ……っていうか、警戒しちゃってるんだよね、たぶん」
 カップから立ち上る微かな湯気ごしに、トワユはリベルが出ていった扉をちらりと見つめて声を落とす。
「ほら……カロ君は男だから、リベルのことを、エロい目で見ちゃう可能性があるじゃん」
 カロメティオの瞳が大きく丸くなる。
「……エロい目?」
 トワユの言葉をそのまま反芻する。トワユは至って真面目な顔をして、そうそう、と頷いた。
「実はリベル、悪魔族のオヤジに襲われたことあってさぁ。未遂で済んだんだけど」
「はぁ?」
 カロメティオは口元を歪ませた。呆れたような声が漏れる。
「死神相手に無茶なことを」
「ねぇ? ボクらの文化と違うところで生きてきてるってこと、すっぽぬけちゃうヤツ、たまにいるよね。無理強いとか、信じらんない——……ま、死神にちょっかいかけたくなる気持ちはわかるけどさ」
 飲み物を通し、こくり、と鳴るトワユの喉。そんなことを聞いたカロメティオはため息をついた。
「……まぁ、そのオヤジもアレだが。トワユ……相変わらず、死神のいい男見つけては声かけてるのか?」
 トワユの口元が妖しく緩む。にたりと笑うその顔は色気づいたとも、当たり前とでも言いたげで。
「だって最近の死神族の若い子ってイケメン多いんだもん。……あ、でも、無理強いはしたことないからね? ボク、そういう趣味ないもん。嫌いだし」
 好みのタイプの男を見つけると、真っ先に声をかけて瞬く間に陥落するトワユの手腕と魅力は健在らしかった。
 付き合いの長いカロメティオではあったが、相変わらずなんだな……と吐息まじりになるのは隠せない。
「よく、死神の霊素に耐えられるよな? お前は」
 ふふっとトワユが笑う。
「特異体質だからねぇボクは。あ、そういえば、この間も軍隊に入ったばっかりっていう若い子が来てさぁ。かーわいいの。次、あの子にしようかな?」
「やめとけ。若い時分で悪魔に骨抜きにされてちゃ、隊の仕事が務まらんだろ」
「えー。でも、ボクに夢中になっちゃうのは、ボクの責任じゃないでしょー?」
 強いて言うならボクが可愛すぎるせい?と、あっけらかんと話す友人を目の前に、カロメティオは呆れたようなため息しか出なかった。
 そのとき、壁にある時計が定刻を知らせる音を奏で始めた。
 時計が告げる頃を見て、カロメティオは腰をあげる。
「あ、もう帰るの?」
「あぁ。ちょうどいい頃合いだしな。邪魔したな、トワユ」
 カロメティオはトワユに見送られて、中立図書館を後にした。
 帰り際に、また近いうちに来るよと告げられて、トワユは、いつでも歓迎だよーと手を振っていた。


<<< 前の話   冥界篇   次の話 >>>