第六話 ルゴスの記憶

 カロメティオが一週間ぶりに中立図書館を訪れた時、そこは最早、以前来た時とは様子がまるで違っていた。
 中立図書館は、他の施設からはやや離れた場所に位置していて、街中の喧騒からも程遠い。施設から少し離れた場所からでも騒がしいなとわかるほどに、異様さは、図書館に集中していた。
 敷地のすぐ外の一角に職員らしき一団がいて、カロメティオはすぐにトワユを見つけた。
 友人の顔を見てなお、トワユの顔は青白かった。
 トワユから一通りの状況を聞いた時、カロメティオの鉱石によく似た瞳は、驚きの色を一瞬のせたが、少しだけ活気が帯びたような気配を見せた。
 それはトワユが、少し頼もしいと思えるぐらいに。
「施設封鎖用の結界か……」
「うん……本当なら、中に人がいなくなってから、最後に残った職員が作動させるんだ。悪戯防止で、施設内で作動させないと、結界が展開しないようになってるから。その後、職員は別ルートで外に出る。でも……リベルはルゴスと一緒に……」
「リベルが、結界を作動させたのか?」
 トワユがしっかりと頷いたのを見て、カロメティオは逡巡すると、顔をほんの少し強ばらせた。
「……まずいかもしれん。トワユ、中に入れる方法はないか?」
「え、あ、あーある、かも……? 館長ならたぶん……」
「そうか。俺が話をするから、館長のところに案内してくれ」
「わ、わかった。こっち」
 トワユの指がカロメティオの服の裾を引っ張った。
 連れられるように、カロメティオはトワユの後を追う。
 二人が向かった先には、悪魔や死神たちが大勢集っていた。
 全員、中立図書館の関係者か、今日たまたま訪れていた一般人たちばかりで、突然の出来事に身を寄せ合って呆然としている。助かったものの、誰もが疲労困憊といった様子だった。
 それらをまとめあげていたのが、中年の死神だった。丸眼鏡をかけたその姿は、すっかり疲弊しきっているようにも見える。
 そこに、カロメティオとトワユは近づいていった。
 館長が顔を上げて、二人を見やる。
「館長、ちょっとカロ君の話聞いてほしいんだけど」
「カロ君……そちらの方かい? 私に何か?」
 カロメティオは前に進み出ると、静かに話しかけた。
「施設内に入れる方法があると聞いた。それを教えてほしい。中に、まだリベルがいるんだろう。助けに行かないと……」
 館長は悪魔族の青年からの要望に、白い顔を驚きで染めて、首を横に振った。
「無茶です! 中はルゴスだらけですよ!? これ以上被害を広げるわけには……!」
「館長。俺は異界研究者だ」
 男の目が見開かれる。
「ルゴスに耐性がある。俺は平気だから、中に入れてほしい」
 青年の申し出に、しかし男はなかなか首を縦に振らなかった。目線があちこちへ行き、悩んでいる様子がうかがえる。
「しかし、一人ではあまりにも……!」
「ここは中立区だぞ? 救援が来るまでにまだ時間がかかる」
 カロメティオの言い分はもっともだった。
 死神も悪魔も自由に行き来ができる中立区は、それぞれの種族の領地からそれなりの距離がある。
 カロメティオは続けた。
「その間に、もしリベルがルゴス化したら、彼女が結界を解いてしまうかもしれない」
 えっ、と声をあげたのは脇にいたトワユだった。代わりに館長が問いかける。
「そ……それはどういうことなんですか……?」
「悪魔や死神がルゴス化すると、しばらくの間は、本人の記憶が残存するんだ」
 青年の言葉に、その話を聞いていた二人の顔が一緒に青ざめる。
 結界を展開する道具を使ったのはリベル。
 その事実が、このまま救援を待った結果、どんな悲劇に繋がるかは想像に難くない。
 選択肢は、限られていた。



「——この非常用出入り口は、外からは、私でないと開けられないようになっています。リベルが展開した結界は施設全体を覆いますが、そういったわけで、他の非常口とは別に、ここだけ例外になるように設計されているんです」
 自身を落ち着かせるように、館長はゆっくりとそう喋りながら、懐から変わった形をした鍵を取り出した。鍵には見えるが、薄く、通常のそれよりは大ぶりだ。
 館長は息を吐くと、袋小路にしか見えない壁の方へと近づいていく。
 扉のような引っ掛かりも突起物も見当たらないそこに、館長が鍵を触れさせると、鍵は音もなく形状を変えて、壁に張り付き、扉の一部となった。
「……内側からは?」
「職員であれば、開け方を知っていますし、場所がわかります。一般の来訪者には検知できないような仕組みです」
 なるほど、とカロメティオはひとつ頷いて、扉の前へと立った。その背をトワユが心配そうに見つめている。
「リベルが、この出入り口を使う可能性はあるか?」
 カロメティオの問いかけに館長は、おそらくないでしょう、と首を振った。
「利用者の方に聞いたのですが、出入り口の先にある部屋にも、ルゴスの被害が広がったようです。ルゴスに噛み付かれた数人が、ルゴス化したという話も聞きました」
「……ルゴスに追われながら、そこに逃げ込むのは確かに難しそうだな」
「はい。それに、非常用の出入り口は、職員以外に検知ができないだけで、触れることはできます。ルゴスに万が一でも通りぬけるところを見られてしまったら……責任感が強い彼女のことです。そこから自分が逃げることは、諦めている気がします」
 一度大きなため息を吐いたあと、館長が続ける。
「実は職員が二人、見当たらないんです」
「リベル以外にか?」
「はい。ひとりは、トワユによるとルゴス化したらしく……ただもうひとりは、誰も見ていないそうで。清掃担当だったので、あちこち行ってる間に騒ぎに気づくのが遅れたのでしょう。まだ中にいると思います。もしかしたら、リベルと一緒にいる可能性も」
 カロメティオは眉を寄せた。
 非常用出入り口の場所と開け方を知っている職員が、リベルを含めると中に三人いる。しかも、一人はすでにルゴス化したらしい。
「気をつけてください。くれぐれも」
 カロメティオが扉の取っ手を掴むと、館長の表情はより険しくなった。声に、震えがこもる。カロメティオは、しっかりと頷いた。
 カロメティオの手に力が入ると、取っ手はがちゃん、と音をたてて稼働し、壁にしか見えなかったそこに口を開いていく。
「……あ、そうだ、カロ君……っ」
 トワユの呼びかけに振り返る。
「リベルなら、たぶん特別書庫に逃げ込んだはずなんだ。一部の職員しか開けられないし、リベル、よくそこで本読んでるから……ボクの鍵、使って。いいよね? 館長」
「も、もちろん」
 トワユの手から、小さな鍵を受け取ると、カロメティオは単身、その道へと体を滑り込ませていった。


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