第七話 感染源

 背後で扉がしまっていく。外の光は細くなり、徐々に消失していき、それと同時に周囲の音もなくなった。
 腰のポケットを暗闇の中で探る。硬質な棒状のそれを探し当て、するりと抜くと、緑色の淡い光が生まれた。
 木製の柄に鉱石を加工して作られた小型のナイフ。切先は金属のものより滑らかで、とても殺傷能力は期待できそうにない見た目のそれを、カロメティオはじっと眺めた。
 ——この間、霊素の出力速度をあげたばかりだったが……いい実地実験だな。
 カロメティオの足が前へと進み出す。
 暗く、とても先は見えないが、出口があるのは確実である。ナイフの仄かな明かりと、片手で辿れる壁の感触を頼りに、歩を進めていった。
 しかし、少し歩いたところで、その足が止まる。
 鼻腔を微かに刺激する臭い。
 冥界住民であれば、そろって顔をしかめるであろう独特なそれは、まるで死骸そのものが呼吸をしているかのような。ぬめりと退廃が入り混じる臭いが、確かに一瞬香ったからだった。
「……——!!」
 前方から突如襲いきた空気の揺れに、カロメティオはほぼ反射的に体を傾かせた。
 視界の暗闇を、さらに黒い何者かが空を切って通り過ぎる。
 カロメティオの両の目が、ナイフと同じ仄かな光を纏った次の瞬間。
「そこか……!!」
 カロメティオは大きく前方へと一歩踏み出し、鉱石のナイフを突き出した。躊躇いなくその切先は、何者かの横っ腹を捉えて。
「ガ……ッ!?」
 ナイフがその体に埋まった感触と同時に、カロメティオは柄を握りしめていた手に、力をこめる。
 柄の特殊な機構が鉱石由来の霊素を吸い込み、何者かへと伝わるまで、ほんの一瞬の静寂。
 次の刹那。
 緑色の小さな稲光が、暗い道に走った。
「ああああぁぁっ!!」
 響く男の悲鳴。
 カロメティオの目の前に、その人物はどさりと倒れた。
 先ほどよりやや強く発光しているナイフを、気を失ったらしい人物へと近づけていく。光の中に浮かんだのは、若い男だった。彼の目元に、はずれかけの細縁の眼鏡がぶらさがっている。
「……! 感染者か……館長が言ってたのはこいつ……?」
 職員がひとり、ルゴス化したという話だった。ここにいるということは、非常用出入り口の存在を思い出し、目指していたということになる。
 被害の拡大がひとつ潰せたことに、カロメティオは安堵の思いだった。
 男の周囲には、黒い靄のようなものがまとわりついたままだった。
 じっとカロメティオはその男を見渡す。
 ——ひと刺ししてこの程度なら、感染は治せそうだな……霊核の循環経路を無理やり遮断したようなもんだから、しばらく意識は元に戻らんだろう。
 男が完全に意識がないことを確認すると、カロメティオは小さな発光する鉱石をひとつ近くへと置いて、再び先へと進んでいった。



 しばらく進むと行き止まりにあたる。壁には梯子が設置してあり、そこを登り天井を押し開けると、施設の中だった。
 辺りに視線をはわせ、他の気配がないことを確認すると、カロメティオは暗い通路からようやく明るい室内へと出る。
 目を細めながら静かに床の扉を下す。すると、カロメティオの目の前で、床に先ほどまであったはずの扉は消えていった。
 最早、なんの切り込みも取っ手もない、ただの床になったそこを見つめて感心したように吐息する。
「……特別書庫が、まずどこにあるか、だな……」
 トワユにリベルが潜んでいそうな場所を教えてもらうことはできたが、肝心の施設内の図面は、カロメティオにはない知識だった。
 ……特別書庫というぐらいだから、おそらく施設の奥だろうな。職員たちしか近づかないような場所……。
 カロメティオは改めて、静まり返った室内を見渡す。
 見覚えがある椅子があるな、と思った瞬間に、少し前のトワユとの会合を思い出したカロメティオ。ここは図書館の中で、飲食が許されている談話室だ。
 ——そうだ、ここに通されたんだった……だとしたら、と、カロメティオは正規の出入り口の方向を確認して、その逆側にある扉へと近づいていった。
 ほんの少しだけ扉を開く。
 すると、伸びている廊下の奥をうろついている黒い姿が目に入る。
(……何匹いることやら。しかし、ルゴスだらけ、という数ではなさそうだな……)
 周囲に騒がしい気配はない。今目にした個体も、獲物を探して彷徨っているだけ、といった具合だ。
 廊下をうろついている黒いものを見つめながら、カロメティオの頭に、別の疑問が浮かぶ。
 ——こいつらは一体どこからわいた?
 ——異界との裂け目が開いたのか? だとしたらどこに? 中立区のあたりは霊素の乱れも比較的少ない。自然的に開くとは考え難いが……。
 いやしかし……裂け目が開いた割には、数が少なすぎる気もするな……。
 そこまで考えて、カロメティオはふと、思考を途切れさせた。
 手の中のナイフを握り直す。
「……特別書庫を探すのが先だな」
 カロメティオは音を立てないように、ゆっくりと扉を開いていった。



 またひとつ、黒い靄を纏った身体が倒れる。
「こいつも感染者だ……」
 黒い靄から顔を覗かせたのは、初老の男だった。見た目からおそらく死神族と判断がつく。
 カロメティオの中で、先ほど抱いた疑問が大きくなりつつあった。
 場所は施設の中でも、ずいぶんと奥まったところだった。
 特別書庫らしき場所はまだ見当たらず、ルゴスをひとつひとつ対処してきていることで、時間も思ったより食っている。
 しかし、ここまで遭遇してきた複数のルゴスは、すべて感染者——つまり、死神か悪魔だった。
 辺りは静まり返っている。付近にルゴス特有の臭いは薄れていっており、これ以上の個体がいるようには思えない。
 ルゴス感染が始まるには、ルゴス本体が必要だ。急に降ってわくようなものではない——だとしたら、一体感染は、どこから?
 道中、異界の裂け目もなかった。裂け目が出現するとき特有の、引力のような瘴気も感じない。
 裂け目を通り異界から直接ルゴスが送られてきたのではないとすれば。
 立ち止まり、考えに耽っていたカロメティオは、探索を再開しなければならんと辺りを改めて見渡した。
 本棚と本棚の間を慎重に歩を進める。
「ん?」
 視界の端に、濃い色の何かが引っかかった。
 見下ろすと一冊の本が落ちている。
 談話室近くのエリアは、ルゴスが暴れ回ったせいなのか、倒れている本棚もあったほど荒れていたが、このあたりは比較的いつもの図書館の風景、といったところだ。
 その中に、本が一冊だけポツンと落ちている。
 青黒い、本の題名も見当たらない一冊の本。
「……? これは……」
 カロメティオが何気なしに本を手に取った瞬間。
 ざわりとした感触が、指先から背中に駆け抜けていった。
「……」
 その肌触りには慣れ親しんだものがある、とカロメティオの脳は答える。
「……調べ甲斐がありそうだ」
 背負っていたバッグに本を無造作に詰め込むと、カロメティオの足は再び、動き出した。




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