猫草ジャック

 ある日のことである。
 ニノレムが暮らす毒蟲の森に、ジャックが立ち寄った。毒蟲だらけのその空間も、植物を操る彼にとっては居心地が良い。
 鼻歌まじりに、迷うことなくニノレムの家を目指すジャック。
 やがてたどり着くと、いつものように木の扉を開いていき——
「ニノー」
 おーい、と軽やかな少年の呼びかけに、静けさを含んだ少しの間。
 普段ならば、どこの部屋にいてもニノレムが、いらっしゃーいと応えてくれるはずなのに。ジャックが首を傾げた、そのときだった。
 不意にジャックの体が浮いた。
「うおっ!?」
 気づけば、脇から太い腕が入り込み、軽々と持ち上げてしまっている。
 背に誰かが近づいていたことに、気が付かなかったことにも驚いたジャックだったが、まるで赤子のように持ち上げられたことにも驚いた。
 そんなジャックの目の前。
 華奢な姿が、ふらりと現れた。
「ちょっ! 何してんだよ!!」
「ニノ……?」
 ニノレムが青い顔をして慌てふためいている。珍しい、とジャックは思った。
 そして今の、ニノレムの荒げた声は、どうやら自分に向かっているものではなかった。ニノレムの視線が、ジャックの背後に向いている。
「ティグ! やめろって!!」
「……」
 自分を持ち上げているのは、ニノレムの知り合いのようだ。
 ティグ、と呼ばれた何者かは、ニノレムの言葉に何も言わず。
 ただ黙って、持ち上げたジャックの首筋に顔を埋めている。
 かたい髪糸がジャックの頬に触れる。ふんふん、と鳴る鼻先が、首をくすぐっていた。
 ……え? 匂い、嗅がれてる……?
 呆然とするジャック。
 鼻を揺らすティグ。
「……なんか……腹が落ち着く……」
「え?」
 青ざめていたニノレムが、目を丸くする。
「……胃の、むかつきが……なくなるような……」
 ニノレムの目が丸くなる。
 ――胃の落ち着く……ジャックは植物を操る……え、まさか……猫草的なこと?
 匂いを嗅がれているジャックだったが、不思議と、まだ顔もわからない相手が嫌ではなかった。
 オレンジ色の瞳が、少しだけ後ろを見ようとする。
「……え、なにアンタ……獣耳じゃん」
「ん? あぁ。虎だ。ティグって呼んでくれ」
「ティグ……」
「お前は?」
「……ジャック」
 二人の自己紹介が終わったところで、ニノレムは息を吐いて、頭をかいた。
 なんとなく察したニノレムの前で、お前良い匂いだなーと遠慮もなくスーハーし続けるティグラルカと、くすぐったそうに身をよじって、やめろよ-!と楽しそうに声を出すジャックがいた。