第四話 泥棒

 冥界の気候は、基本的にほぼ一定を保つのが特徴である。
 今日も今日とて、穏やかな灰色と赤色に染まる空の下——地に這っていた霊素が上り明るくなると、冥界の住民たちはその日の生活を始める。
 悪魔領の街の一角。様々な食糧品を売っている店先に、カロメティオはやってきていた。
 店先に並んだ果物や肉類を眺めていると、その脇に、細身の姿が割り込んでくる。
 見ると、そこにはジャケットにネクタイを締めた若い青年がいた。色素の薄い肌に、素朴さが目立つ顔。ショートヘアで整えられた見た目は清潔感があり、見る者の警戒心を無言で解いてしまうような、やわらかい青い目をしている。腕には、悪魔領ではもうおなじみの、ある紋章が描かれた腕章を着けていた。
 店先にいる客をのんびりとした様子で見ていた店主に向けて、青年が声をかけた。
「すみませーん、霊衡局です。例のやつ、引き取りにきました」
「お、ちょっと待っててくれ」
 店主はいそいそと店の奥へと引っ込んでいく。
 その青年の顔を見るなり、カロメティオが目を丸くしていた。視線に気がついた青年も、くすんだ金が覗く瞳と視線がかち合ってから、同じように目を丸くした。
「カロ。久しぶり」
 青年はほがらかに表情を崩した。
 対して、カロメティオは表情をあまり変えないまま。
「久しぶりだな、シュイシュイ・ラザラム

悪魔族。霊衡局勤務。実働隊の若手。カロメティオの幼馴染。
。……はかりの仕事か?」
 カロメティオの言葉を受けて、シュイが頭をかいた。
「仕事だけど……だから、はかり、じゃないってば。霊衡局」
 シュイの人差し指が、講義中の講師のようにぴんと立つ。
 するとそこに、両手で箱を持った店主が戻ってきた。
「ほい、これだよ。はかりの仕事、ご苦労さん」
 シュイの人差し指は折れた。
 差し出される箱を受け取ると、カロメティオが「ほらな」と言わんばかりに息を吐いた。
「——あ。すまん、シュイ君。あともう少しあるんだわ。待っててもらえるかい?」
「大丈夫ですよ。お待ちしてます」
 すまんねぇ、ともう一度告げて、店主は再びいなくなる。
「まぁ……市民の皆さんが、呼びやすい方でいいんだけど……カロは、何してたの?」
「食糧の買い溜め」
 カロメティオはさも、当然のように告げた。シュイは呆れたように口を開いた。
「またぁ? 研究室にこもりっきりは、体に毒だって前も言っただろ」
「だから出てきたんだ。今の研究がいい具合に進んでるから、手が離せなくなる前に、と思ってな」
 シュイは思わずため息をこぼす。
「それってこもる準備だろ、結局……気をつけてよ? カロの餓死死体見つけるの、俺、やだよ?」
 するとカロメティオは、目線を斜め上へとあげた。しばらく思案顔。
「……幼馴染に死体検分されるのは……確かに気が引けるな」
「そういう話じゃないってば」
 二人がそんな会話をしているところに、店主はバタバタと戻ってきた。今度は本を数冊手に持っている。それを、シュイが抱えてる箱の中に、丁寧に詰め込み始めた。
「これで全部だな」
「ありがとうございます」
「いやこちらこそ。こやしになってた本が役立ちそうなら良かったぜ」
 カロメティオの視線が箱へと移る。
「……本集めてるのか?」
「あ、そうなんだ。今、霊衡局でいらなくなった本があったら引き取りますって、通達してて。結構集まってるんだよね」
 首を傾げるカロメティオ。
「そんなに集めて、何に使うんだ?」
「本を扱う施設に寄付するんだってさ。街の図書館とか……あとは、中立図書館とか、そういうところ。確か、二、三日前に第一陣が送られたんじゃなかったかな」
 少し前に訪れた場所の名前が出てきて、カロメティオの瞳が微かに揺れる。そして少し、感心したように吐息した。
「へぇ。そんなこともやってるのか、はかり」
 シュイが浮かべた笑顔は、純朴そうな色だった。
「まぁね。局長が指示してるみたいなんだけど」
「霊衡局局長が、書物文化の保全と循環を指示ねぇ……そんなに本好きな御仁なのか?」
 カロメティオの口調には、純粋な観察欲がのる。公的施設の長が指示する案件にしては、やや地味だな、という印象は拭えなかった。
 問いかけに、シュイは首を振る。
「さぁ。……まぁでも、中立施設に寄与する姿勢は、取っておいた方がいいんだろうね、とは言われてるけどね」
 そういう見方も確かにできるか、と、カロメティオは頷く。
 隣でその会話を聞いていた店主は、やや興味の薄そうな顔でいた。
「ま、でも枕がわりにされるよか、本も幸せなのは間違いねぇな」
「確かに」
 店主の言い草にカロメティオが小さく笑う。同時に笑ったシュイの視線が、カロメティオに戻る。
「よかったらカロも、いらない本あったら言ってよ。俺が取りに行くし」
 腕を組み、カロメティオは考え始めた。
「……ないな。全部資料だ」
「カロらしい……」
 どうやら変わりのないらしい幼馴染を前に、シュイは半ば安心しているかのように笑う。
 そのとき店主が、そういえばよ、とシュイの顔を覗き込む。
「最近なんかおもしれー話なかったか? 前話してくれた、媚薬の取り締まりのやつも、面白かったしよ。なんか聞かせてくれよ」
 悪魔領内の犯罪の取り締まりも、霊衡局の仕事のひとつ。そういった話は一般市民にとっては娯楽の種にもなる——ということは理解しているシュイは、首を捻った。
「そうだなぁ、本も寄付してもらったし、じゃあ何か……あ、そうだ。本と言えば」
 シュイの視線が、店主と幼馴染に向く。
「この間、霊衡局に泥棒が入ったんですよね」
「泥棒だ?」
 店主が怪訝そうに声をあげる。声をあげはしなかったが、カロメティオも同じぐらいに怪訝に感じる話ではあった。
「はかりの施設にか? 金目のものなんか、ないだろうに」
「いやでも、押収品がわんさかあるだろうから、目的、それじゃねぇか?」
 店主の推理はもっともだった。
 なるほどそれも一理ある……とカロメティオが頷きかけたとき、シュイの口から、いやそれがさ……と続いた。
「泥棒が捕まったの、小さい物置部屋の中で」
 ほう、と、誰からともなく声が漏れる。
「いろんなものが一時的に置いてあったりはする。たとえば……こういう寄付された本とか。確かに霊衡局の中には、押収された武器とか術具とか、そういうものもあるけど、そっちはもっと厳重に保管してあるし」
「じゃ、何が盗まれたんだ?」
 店主が問いかけると、シュイからは呆れたような声色が返る。
「局員が置き忘れてたハンカチ一枚」
「はぁ?」
「……匂いフェチだった、とかいうオチじゃないよな?」
 カロメティオの言葉に、シュイと店主の目が同時に丸くなる。が、すぐに店主は顎に手をあてるポーズをとり。
「それならそれで、もっと別の面白い話になりそうだ」
「あまり聞きたくなるような話じゃないがな」
「……えーっと、続きを話すと」
 シュイの声から力が抜けている。
「さすがに倉庫にたまたまあったハンカチ目当てじゃなかっただろうってことで、今取り調べ中らしいよ。担当者の見立てでは、何か盗もうとして入ったけど、間抜けが過ぎて倉庫に入った時点で見つかったんだろって」
 不法侵入罪も適用されそうだしねぇ、と締め括ったシュイの話。
 カロメティオは腕を組んだまま、視線を上へと持ち上げている。
「何を盗みに入ったかわからん泥棒か……案外、盗み目的で入ったんじゃない可能性も捨てがたい話だな」
「盗み目的以外……? えーでも、他に思いつく……?」
 シュイは首を傾げてしまった。そんなことを思いつきで告げたカロメティオも、それ以上のことは本人じゃないとな、と匙を投げた。
 店主は煮え切らないような表情で、またシュイを覗き込んだ。
「……あんま面白くなかったな。もう一声、どうだ」
 シュイは肩を落とす。
「もう仕事戻りますよー。また今度、ね。いいの仕入れてきますから」
 約束だぞーと念を押されながら、箱と共に戻っていく幼馴染を見送って、カロメティオは忘れかけていた三日分の食糧を抱えて、帰路へとついた。


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